Thursday, December 4, 2008

一期一会について ( About )

一期一会

茶湯一会

「一期一会」は、井伊直弼の著書『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』にはじめて見る熟語である。この書は、彼が石州流茶人としての茶の湯に対する造詣の深さを物語っている。

そもそも茶の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たとえば、幾たびもおなじ主客と交会するも、今日の会(え)に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり。

と。つまり、「茶の湯の心得は、一期一会」に帰着すると直弼は言い切る。それ以来「一期一会」のことばは、茶人の間だけではなく広く世間の人々にも知られるようになる。

「幾 たびおなじ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり」と彼のいうとおり、おなじ友人に再び会えるという保証は どこにもない。したがって一期一会は、“会ったときが別れのとき”となる。いま、誰かとの出あいを“会ったときが別れのとき”と見すえると自分自身の生き ざまを自主的に規正できよう。
すなわち、会ったときが別れのときだとなると、言葉の使い方、ものの考え方、身体の動作すべてにわたり、「これで いいのか」と自己判断ができよう。一期一会とは、悲哀を呼ぶ感情ではなく、積極的に豊かな人間的生き方を指向する茶の湯の香り高いこころばえに外ならぬこ とを知るであろう。

時、人を待たず

行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく止まることなし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。

との、鴨長明の『方丈記』の有名な巻頭文の一節を思い出した。
川の流れならぬ海のこの波は、あとからあとから押しよせて絶えない。しかも、その波は変わりづめて、もとの水ではない。航跡に浮かぶ白いうたかた(水のあ わ)は、終始消えたり結合したりして、じっと止まっていない。ここにも一期一会がある事実を、はしなくも思うのである。

出会いの縁

一期一会は、対人関係だけには限らない。時間との出会いも、場所や処の訪問も、おなじく一期一会である。
わたしは、前夜ラバウルの海岸で、椰子の葉かげからではなく、海辺で南十字星を仰ぎ見た。この地に出征した兵隊さん達は、きっと毎夜、この星を仰いだであ ろう。どんな思いをこめて十字星に声なき声で語りかけたであろうか。十字星との出あいもまた一期一会である。光の流れは速いから、おなじ星の光を二度と仰 ぎ見ることは全く不可能だ。
ラバウル小唄に

星がまたたく あの星見れば

くわえたばこも ほろにがい

と。そのほろにがさは、愛する者と別れる悲しみと、わが生命の危機の恐ろしさの味であろう。この味を知って、人間ははじめて、“両手あわせて ありがとう”と二つの手のひらがめぐりあえることになる。感謝の実働の「合掌」に外ならない。

会い難い関係にある者同士が会えるのは、それは「縁」のはたらきによる。どんなに会いたいと思っていても、縁に恵まれなかったら出会いはあり得ない。昔から縁が大切にいわれるゆえんである。
縁は、しかし、何もせずにただ待望していては得られるものではない。念じつづけ、努力することによって縁は実る。詩人の坂村真民さんは、いみじくも“念ずれば、花ひらく”と詩う。
武者小路実篤さんが、かつて言った。
「死んでしまった人びとに対してはぼく達は力はないが、しかし死んだ人のまごころが、生きているわれらに働きかける力は、絶大なものがあると思う」と。そ の時の戦没慰霊の旅でも、とくにこの事実を痛感した。死者と生きている者との一期一会の旅だった。だからおなじ「ラバウル小唄」でも、出征将兵が歌うの と、この旅のように、ラバウルを離れるとき歌ったのと、その趣きを異にするのは当然である。一期一会であればこと、自分の胸中でいつも対面している、との パラドックス(逆説)が真理として成立することになる。
このことは、場所や、空間にも通じる。かつて鳥取の砂丘で、「帰るとき、来たときよりも 美しく」との標識を見受けた。心なき観光客への警告としもすぐれている。観光地に限らず、電車やバスの車内でも、また劇場や講演会ででも、この警告に従う べきだ。場所と人間の出会いも、また一期一会の縁である。
会ったときが別れのときだ。同じ人や同じ処と再びめぐりあえる、との保証はどこにもないからこそ、出あいの縁を大切にしなければならぬ道理が明らかとなる。
一期一会であると気づかされると、自主的に自分の言動のあり方や、ものの考え方が、果たしてこれでいいのであろうか、と判断が出来るようになる。正しい生きざまを、自分で決定づけられるようになる。
わたし達の乗っている機は、ひたすら北上を続けた。 帰る国のあることをしみじみ有り難いと思う。

日々の別れ

会者定離
一期一会は、また「会うことは、別れのはじめ」というニュアンスが感じられる。仏教思想の、会うものは、必ずいつかは別れなければならぬという「会者定離 (えしゃじょうり)」にも通じている。会者(会うもの)とは、必ずしも人間同士だけではない。刻々の時の流れと出会い、そのつど別れていく。そして「い ま」というときには二度と出会えない。
江戸時代の禅僧で、広く世界に知られている白隠禅師を大成させた信濃の正受老人に、

あさましやおもえば日々の別れにて 昨日の今にまたもあわれば

の一首がある。「昨日の今に再び会えない」からこそ、今を大切に生きなければならない道理を知る。
ところが、一期一会とか会者定離とかいうと、とかく別離の哀感をうたいあげる無常観に限られがちだ。しかし、ともに充実した人生を生きるには、人はもちろん、時間や場所との出会いを大切にせよ  と教えているのを忘れてはならない。

人生の旅

バイパスは無い
「一期一会」というと、何となく寂しさを感じる。しかし一期一会を悲哀の感情だとかたづけるのは正しくない。積極的に充実した生き方をするにふさわしい価値観とすべきであろう。
それには、生涯(一期)のうちで、ただ一度の出あい(一会)だ、と「一会」をいわば「一期」の中に包括するのではなく、一期がそのまま一会であるとすべきであろう。すなわち“いま”を大切に生きて、はじめて生涯が充実するわけだ。

いまは いましか無い

いまは 帰って来ない

いまを大切に生きよう

と繰り返し自分に言い聞かせる。
このごろ、あらためて佐藤一齊の、

少ニシテ学ベバ、壮ニシテ為スアリ

壮ニシテ学ベバ、老イテ衰エズ

老イテ学ベバ、死シテ朽チズ

の言をわたしは深い悔恨の念にかられながら口ずさまずにはおれない。
佐藤一齊は江戸末期の儒者で、「言志録」は彼の著書の中でもとくに有名である。言志録は、学理や学則を説いて人間のこころのたたずまいを述べ、四部から なっている。彼が四十歳のときに書いたのが「言志録」、六十歳で「言志後録」、七十歳で「言志晩録」、その後さらに「言志耊録」を書く。この四部作を「言 志四録」という。上掲の言葉は「言志晩録」に見える。つまり、佐藤一齊が七十歳のときの述懐である。
七十歳といっても、現代人は人間の寿命の返 金年齢が七十一歳余であるから、世間でも多く見うけられるが、昔の七十歳は中国の詩人杜甫の曲江の詩に「人生七十古来稀」とうたわれるように数少ない高齢 者である。それにもかかわらず佐藤一齊は自信に満ち、体験をこのように言い切る。
長寿の秘けつは“若いときに勉強しておくこと”にあると聞こえるようだ。
若いときは、人間の一生では二度と出会えない。青春もまた一期一会である事実にまちがいはない。すると、青春の価値ある生き方は、若き日を毎日精いっぱい生きる点にある。この真理に今も昔も変わりない。この努力が心身の若さを長く保つゆえんであろう。

禅のこころに学ぶ 『一期一会』 松原泰道 著 より

行雲流水

『行雲流水(こううんりゅうすい)』—-空を行く雲と流れる水のこと。といって行方定めぬ放浪や漂浪の旅をいうのではない。行く雲のごとく何ものに も執われることなく無心に、また流れる水にも似て、きまった形にこだわらない本当の意味での自由を体得するのが、行雲流水である。  執着心がなければ、そのとき、そのところで、物に応じ事に従って行動できる。それが行雲流水の徳であろう。  行く雲も、流れる水もそれら自身は、別に無心だとか無執着だと自覚しているわけではない。雲はただ雲のままに、水はただ水のままに去来し、流れ去るので ある。  行雲・流水のたたずまいに、無心や無執着を学びとるのは、人間に与えられたすばらしい英知であることを思う。  ひとところに止まらない一所不住(いっしょふじゅう)は、決して住所不定ではない。執着しない自由自在の修行のあり方や、心のあり方が行雲流水という風 雅な名で呼ばれているのに興趣をひかれる。  雲も時としては峰に止まって、山の風光を添える。が、添えてことも忘れて雲はいずこかに去っていく。水も特定の形にはなじまないが、必要とあれば方円の 器(うつわ)に黙々としたがい、その場に充実して生きる。  このように、無心無形に、そのときそのところに生き、そのときそのところを生かしていく生き方が『行雲流水』である。  行雲流水は、また無常の相(すがた)である。しかし自然のたたずまいだけに無常を感じるだけでは十分でない。自分自身の無常を観じるよすがとして、行雲 流水を見つめなければならない。  禅語に『白雲(はくうん)、自(おのずか)ら去来す(白雲自去来)』がある。また、大空を静かに白き雲はゆく 静かにわれも生くべくありけり 相馬御風    の一首は、行雲流水をふまえての詠歎でもあろうか。 北軽井沢 日月庵坐禅堂にて   松原 泰道   禅のこころに学ぶ 『行雲流水』  松原 泰道 より

日々好日

人生別離足る  日々是好日(にちにちこれこうにち)(碧厳録第六則) 雲門垂語(うんもんすいご)して云(いわ)く『十五日已前(いぜん)は汝に問わ ず、十五日已後(いご)、一句を道(い)い将(も)ち来たれ』と、自ら代わって云く「日々是好日」。  雲門が問題を提供して言うには、「十五日(たまた まこの日が十五日であった)以前のことは問わない。即ち過ぎ去った過去のことは問わぬ。十五日以後はどういう気持ちで生きるつもりか、きょうからの生き方 を、言葉にして持ってこい」と言うのです。ところが誰も答えないので、雲門は自分で代わって「日々是好日」と言った。 日々是好日(日々好日とも約す)と は、毎日毎日が大安日で吉日だ、というような、暦の上の吉日ではありません。ではどういう事でしょう。  花発(ひら)いて風雨多く、人生別離足る(花発 多風雨 人生別離足「唐詩選」)  花が咲く季節は案外風と雨が多いものです。皮肉なもので桜の花が開くまではずうっと天気だったけれども、花が咲いたら 途端に雨が多くなってしまうこともあります。  人生においては別離足る。足るということは十分にあるということですから、別れがいやになるほどあるのだ との嘆きです。日々是好日と反対です。人間が作った造花は、散らない、雨に濡れても乾けば何ともありませんが、蝶も止まりません。蝶が止まる花は必ず散っ ていきます。  「散ればこそいとど桜のめでたけれ」という句がありますが、散ればこそ花が美しいのです。散らない花は全く値打ちがない。「散る桜 残る 桜も散る桜」、風がなくても、雨が降らなくとも、散っていく花もあり、残っている花もありますが、やがては、みんな散ってしまわなければなりません。読み 人知らずの句ですがいい句です。桜の花が咲きっぱなしだったら、誰もきれいだとは言わないでしょう。散ればこそ私たちは咲いている花に名残を惜しむので す。   同じように「人生別離足る」一遍会ったらもうそれで別れることがないのなら、人生は退屈そのものになってくると思います。私も親しい人と別れる ことが随分ありますが、一番かなわないのは自分より若い人が死ぬこと。それはたまりません。曾呂利新左衛門でしたか「今までは人のことのみ思いしに 俺が 死ぬとはこいつはたまらん」という狂歌がありますが、こういう別れがあればこそ、今ここに生きているということはなんという素晴らしいことなのか。そこに 「日々(是)好日」の意味があるようです。  禅のこころに学ぶ 日々好日 松原 泰道 より